弐条海月の とはずがたり

そこはかとなく書き綴るブログなるもの

サッカーの話…。

童心にかえってイナズマイレブンを夢中でやっていると…サッカーをやっていた若かりし頃のことを思い出したりしました。今日はそんな思い出話をひとつ…。

小学校の頃にサッカー少年団に入っておりました。私は元左利き(鉛筆と箸は右で持つよう矯正されたらしい)のため、右足でも左足でも同じようにボールを扱えました。それを知った小学校のとある先生が「俺が監督をしている少年団に入らないか?」と誘ってくれたのがきっかけだったと思います。左利き(元ですが…)が重宝がられたのか、ポジションは左ウイングになりました。

自分で言うのもアレですが…当時、センタリングを上げたり正確なパスを出すのはそこそこできていたと思います。シュート力はたいしたことはなかったですが、性格が悪いのでキーパーの裏をかくシュートを打つのは得意でした(笑)。ですが如何せん体力がなくて長時間走れず、ウイングには不向きだったようです。で、ゴールキーパーになりました。正ゴールキーパーはすでにいたので2軍でしたが、性格が悪いのでキッカーの裏をかくセービングが得意でした。当時から身長が低く手足も短かったのですが(笑)、ガッツがあったのでキーパーは向いていたようです。

中学でもサッカー部に入るつもりだったのですが、入学早々に衝突した先生がこともあろうかサッカー部の顧問だったために別の部活に入りました。ですが野球よりもサッカーが好きだったので、草サッカーをよくやっていました。必ずポジションはゴールキーパーを選びました。高校では、とてもじゃないですがレベルが高く、サッカー部に入る気も起きませんでしたのでサッカーからは離れておりました。

サッカーを再開したのは高校を卒業してからですね。小学、中学、高校の友人、バイト仲間、専門学校の友人達とサッカーチームを作って草サッカーに興じておりました。ところが、試合の朝は寝坊して集まらない連中、いわゆる「寝坊主(ねぼうず)」が多過ぎるため、サッカー協会への登録時には「FCネボンズ」という名前にし、リーグ戦に出るようになってからは寝坊を防ぐため前の晩から集合してオールナイトで遊ぶという暴挙に出ました(爆)。

そのころはまだ「彼女」だった妻は、FCネボンズのマネージャーとして登録しておりましたけれども、オールナイトで遊んだ後なので試合中はマネージャーのくせに車の中で爆睡(笑)。試合のたび一緒に来ていたのにも関わらず、私の活躍ぶり?を見たことはただの一度もないそうです(笑)。

試合相手はすすきののスナックや居酒屋などで働く人達のチーム「FCノミヤーズ」とかバイト先のホテルの人達が所属している「FCホテルマンズ」、あるいは外国語学校のチームなど様々でした、が…私の記憶が確かならば一度も勝利したことはなかったはずです。徹夜明けでフラフラのチームが勝てるはずもないと思いますしね(笑)。

ただ、ゴールキーパーとしては楽しかったですよ。相手ボールの時間がたっぷりあって、シュートがガンガン飛んでくるので。何より嬉しかったのは試合中、試合後に「ナイス!キーパー」と相手チームから声をかけてもらえたことですかね。確かにシュート練習をしているかのようにシュートを打たれましたから、時々はスーパーセーブも生まれるんですよね(笑)。

こうやって記事を書いている合間に、何か懐かしくなってYoutubeでサッカーの動画を観てました。2004年アジアカップでの日本とヨルダンのPK戦とかですね。


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