2012-11-20のツイート…
- 「品川ナンバー」by相対性理論 22:27:06
先日の話、地元のフリーペーパーに公園にシカが現る…そんな話題が載っていた。記事を読めば、私が自転車でよく通る河川敷の公園でのニュースだったことに驚いた。河川敷の河川側は豊かな自然が残っているとは言え、シカが生息するような山林は、対岸のちょっと離れた場所のはず。河川敷の向こうは住宅街が続いているというのに、わざわざ橋を歩いてきたのだろうか。川の浅瀬を渡ってきたのだろうか。…そんなお話。
シカが現れた公園を横目に続く河川敷のサイクリングロードを自転車で走っていると、キツネをちょくちょく見かけることはこれまでにもあった。住宅街の中でありながら、それも自宅の前をキツネが走っていくのを見たこともあるし、引っ越し前はすぐ裏が山で、シカの出没が話題になったこともあった。
そんな自然と共存した街に住んでいるのだけれど、河川敷にあの場所でシカが出没したという話題はついぞ聞いたことがなかった。あのシカは無事に森へ帰ることができただろうか…少しばかり気になった初冬の夜。
うーん、簡潔に読みやすい文章を意識しているのだけれど、文体に違和感が残るなぁ。今後どうするか…今しばらく迷走しそうな予感。
見た目にも読みやすく分かりやすい平易な文章を書くため、ひらがな表記を増やしていこうと考えております。今回は、補助動詞と形式名詞とひらがな表記に関するお話。
補助動詞は「いく」「くる」「みる」といった表現ですが、これはすでに当たり前だし一般的でもあると思うのだけれど、端的に言えば「映画館に行く」と「映画のシーンが流れていく」の意味合いと表記の違い。前者は通常の動詞としての使い方であり、これは漢字表記をすべき。一方、後者は補助動詞なのでひらがな表記すべき…というもの。必ずしもすべての補助動詞がそうだ、というものでもないし、動詞なのにひらがな表記が一般的になっている語句もあります(例=できる、なる)。要は一般的な表記を意識して取り入れていく…ということになろうかと思います。
形式名詞は「時(とき)」「ところ(所)」「こと(事)」「もの(物)」が対象で、それぞれの漢字が持っている本来の意味合いとは違った使い方をする名詞のことです。
「時(とき)」を例に挙げると…「時の砂」のように明確に時間を意味する言葉の場合は漢字表記が適当で、「さみしいときー」のようにタイミングを示す場合はひらがな表記が適当だということです。
いずれにしても、美しい言葉を選びつつ丁寧な文章を書いていきたいものだ…そう思ってこれまで日記を綴ってきたのだけれど、表記方法をそろそろ変えていこうと思っているわけです。これからは少し文体も変わっていくかもしれません。語尾も体言止めにしてそろえたほうが完結にまとめられるのだろうし、そのほうが文字量が減って今より読みやすくなるかもしれない。こんな風に。そう。できるだけ端的に表現し、説明に終始せぬよう気を付けつつ、今よりも私個人の思考を加えることにしよう。ようするに、これからはもっと「俺的日記」になっていくかもしれないよ…ということで(笑)。
とにかく、できるだけ短くも印象に残る言葉を綴っていきたいと思う今日このごろなのです。