弐条海月の とはずがたり

そこはかとなく書き綴るブログなるもの

» 2010-12-08の日記

「子ども達を守る」とは?

 今日は会社で会議がありまして…。思いのほか長引いたため帰りにまっすぐ百人一首の会場へ子ども達を迎えに行きました。本当は自分で帰ることができる程度の距離ですが…規則ですので(苦笑)。その途中、「子ども達を守る」という観点で色々と考えを巡らせておりました。以下は私の持論です。長文ですし面白い話ではないことをあらかじめ申し上げておきます。それでも良ければお読みください。

 長男、次男は数年前から毎年この時期になると百人一首をやっております。さすがに百人一首が始まるのは私が仕事をしている時間ですので送ることはできないのですが、指導者の方が家まで迎えに来てくれており感謝しています。そこまでしていただくのは申し訳ないですし、ご厚意に甘えっぱなしというわけにはいかないので、子ども達には行きは自分達で行くように言ったのですが、保護者が送り迎えするのが規則だということで。

 私としては、子ども達2人とも男の子ですし、ましてや会場から家までそう離れた距離でもありません。あまつさえ長男は6年生、次男だって3年生、その2人が田舎道のしかも通学路を一緒に帰ってくるのですから何ら心配はしていないのですが、やはり規則ということでどうにもならないようなのです。確かに、報道される悲惨な事件などを鑑みますと、子ども達を守るためにいくら用心しても用心し過ぎるということはないのかもしれませんけれども。

 ここからが本題なのですが、世の中で様々な形で取り組まれている「子ども達を守る」という活動が、果たしてどこまで有効なのか…それが本当に未来を担う子ども達のためになっているのかと、疑問に思うことがこれまでにもありました。

 そもそも、とある事件が起きたから後手の対策を取る…というような姿勢は間違っていると思えてならないのです。学校などでよくあることですが…「○○県の学校で○○の事件が起きたことを受け、○○市教委が市内の各学校に文書を送付し○○の対策を徹底するよう通達した」…的なものです。これらは目の前で起きた時間を教訓にするのではなくて、悲しいことに過去の事例があるのですから、それらを教訓として考えられる対策をあらかじめ講じておくということはできないのでしょうか? 正直、偉そうに書いてはみたものの、これについて私とてとやかく言える立場ではありません。もし自分の子に何かあったとしたら、愚かな私は激しく後悔し次からは送り迎えを徹底するでしょうから(苦笑)。

 それから、公園の遊具がどんどん姿を消しています。この問題も然り。事故が起きたからとその度に遊具を撤去していたならば、そのうち公園からすべての遊具が姿を消すことになってしまうでしょう。私達大人が子どもの頃に楽しく遊んだ公園遊具は、本当に今の子ども達にとっては危険なモノでしかないのでしょうか? あらかじめ公園遊具の正しい遊び方がレクチャーされているのでしょうか? してはいけないことを教えてあったのでしょうか? もし守らなければならないルールを破ってしまうと楽しい遊具でさえも大きな怪我をしてしまうかもしれないことを子ども達は理解できていたのでしょうか?

 夜道が危ないので送り迎えする。危ないなら夜道を歩かないようにすれば良いのか、そもそも何故危ないのか、夜道が危なくないものにすることはできないのか。地域住民が登下校時に子ども達を見守っている。民間の会社やお店あるいは民家が子ども達に何かあった際の駆け込みステーションになっている。そうしたことをしなければならないのはなぜか。このままでは子ども達は昼間は公園でも遊べず、登下校も送り迎えになる時代が来てしまうかもしれません。交通事故や不審者による事件から子ども達を守るため、学校授業の一部をインターネット上で実施。子ども達は自宅に居ながらにしてパソコンに向かって教師の授業を受ける…そんなことになるかもしれません。まるでどこかの映画のようですが、外に出るのは危ないので代わりにアバターを公園で遊ばせ、子ども達は自宅でコントローラを操作して自分ソックリのアバターでサッカーをするのかもしれないのです。

 私はこう思います。安全という名の実はペラペラのビニールハウスの中で体験よりも知識優先で促成栽培されている子ども達。そんな子ども達は、大人になって何かの問題に遭遇した時、それに立ち向かう強い精神力を持ち合わせているのでしょうか?

 確かに「子ども達を見守る」活動をされている方々は大変素晴らしいことですし、そこに意見するつもりは毛頭ありません。ですが、そうした行為はそもそも昔ならば自然に行われていたことのはずです。組織だってやらなければならないような時代になってしまっているのが現状でそれが問題なのであり、その原因を断つことこそが「後手」ではない「子ども達を守る」ための「先手の方法」だと私は考えます。よって、私は未来を担う子ども達を狙うような犯罪行為を極刑にすることが必要ではないかと思うのです。

 たとえ話であっても、こうしたことは考えたくはないですが、登下校時の子どもを狙う犯罪を防ぐため、見守りをしていた人が犠牲になったらどうなるのでしょうか? 危険を感じた子どもが駆け込んだ民家に不審者が押し入ったらどうなるのでしょうか? もし日本のどこかでそうした事件が起きてしまったら、組織としての子ども達の見守り活動はその後どうなってしまうのでしょうか? そうした場合の責任の所在はどこにあるのでしょうか? 実際に見守り見守っていることによる抑止効果は計り知れないものがあるはずですが、さらにもう一手、犯罪行為の厳罰化という神の一手は最も大切な抑止力になるのではないかと思えてならないのです。


固定ページ

最近の投稿

カテゴリー





カレンダー

2010年12月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

過去の日記はこちら

キーワードで検索