封書のこと…(上)
仕事上で封書やはがきを受け取る機会がありますので良く目にします。出社すると机の上に何通か届いているのですが、手にとって読んでみますと、そこに書かれた文字から相手の思いや表情が見えてくるような気がしてきます。今日はそれに関するお話です。
幸いにして私が受け取る封書やはがきのほとんどがクレームではなく好意的なものであり、それは大変ありがたいことなのです。ですが、それでも草書体じゃあるまいし判読できないような達筆の続け字で書かれているものであったり、何かの暗号文のようなぐちゃぐちゃのなぐり書きだったりするものは、正直破り捨てたくなるような気持ちになります。私の研究(笑)によりますと…前者の草書体(偽)は年配の方に多く見受けられ、後者のナンチャッテ暗号文は若い方に多い書体のようです(笑)。
一方、例え字が上手くなくとも、丁寧にゆっくり書かれているものは見ればすぐに分かりますし、書き手の気持ちがきちんと読み手に伝わるものです。
タイポグラフィ(活字)に頼らぬ直筆の手紙には、直筆であるからこその「重み」があるもの。その「重み」こそが、顔も見えず声も聞こえない手紙から伝わる相手の「想い」であることは言わずもがな。ましてやEメールと違って可読性の高いフォントが使われているのではなく、相手の顔が見えない代わりにその人の書く文字には「顔」がありますから、直筆の手紙には文字を通じて相手の表情までが読みとれるはず…。
そう考えてみると直筆の手紙の重さが改めて実感できるとともに、手紙を書くという行為を決して軽んじてはならないと思えてならないのです。